父は、謡(能の声楽部分)の師範で、3つも教室を持っていたそうです。知らなかった。。。
亡くなる3ヶ月前まで教えていたとの事。食道癌末期にも関わらず。恐るべし。
昔から、カラオケに行くとプロ級の上手さ。
腹式呼吸の訓練をいつもしていて、声を鍛えていたからですね。
私にはお腹が出るからと腹式呼吸を教えてくれませんでした。
娘だからというより、父にはいつも、素問・霊枢に書かれてある様に、柔軟な女性への特別な憧れがあったように思います。
父のお誕生日を居酒屋さんでお祝いした時、唄ってくれた謡は最高でした。
人目も憚らず、完全に自分の世界に入ってました。こんな所が本当に父らしいです。
生ある物を最後まで大切に…
怒り出すと止まらないんです。。と正直な患者さん。止めたくてもどうしようも無いのでしょう。
本当に辛いのはご本人です。
人間関係のストレスに対して、「自分と似てるからイライラする」と言われてました。
よく聞くと、本当は自分を信頼して欲しいのに、信頼してくれてないと感じての怒りのようです。
どうにも止まらない怒りの生命。本当に可哀想です。
怒りを人に向けてるようですが、結局、「自分を責め過ぎてシンドくなって、他人を責めてしまうんですよ。自分を責めないで。」とお伝えしました。
自分を信じる…簡単なようで難しいですが、
怒りは行き場の無いエネルギーの爆発でもあります。
身体から怒りの大元になっている深層へ、鍼は働いてくれます。
父は生前、「奇人会」という小グループを作っていたようです。亡くなってから知った事ですが。。
余程の奇人変人の集まりで、写真に写ってる方々…それは楽しい会だったのでしょう。
奇人変人と言えば、間中喜雄先生。
間中喜雄先生(1911-1989)は、外科医(京大医学部で医学博士号取得)でありながら、鍼灸医学の発展に貢献され、日本初の鍼麻酔による外科手術も成功させた凄い方です。
この先生、医師会ではかなり変人扱いされてたようですが、自らも、
入り口正面には、「奇人・変人大いに歓迎。ただし、一芸に秀でた者に限る。」と、掲げてあったそうです。
父はこの間中賞受賞者の第1号で、間中先生自らが父を選んで下さったらしいのです。父50歳時。
父から間中先生の裏話を度々聞かされました。
そんな話、私にする?という感じでしたが…父の奇人変人ぶりは、今尚、私の中で日増しになります。
紫のリンドウが咲き乱れてます。
7月は父が出生した月でもあり、逝去した月でもあります。
それも、昨年の7月、77歳でこの世を去りました。余程ラッキー7が好きだったんですね。父らしい。
今、父橋本正博の生命は何処に居るのでしょう。何を感じてるのでしょう。
宇宙空間が楽しくて、もチョットね~とのんびりしてそう。
そんな妄想はとっても楽しいです。
『素問』『霊枢』を白文で読み、殆ど暗記してたのでは、と思う程その精神に傾注してました。
何時も、素問・霊枢が本当に分かるのは70過ぎてからだぞ、と。意味深な言葉に、70歳が楽しみにもなったりして。
日本では何故か、特に、歳をとる事を忌み嫌う傾向が強いですが、
人生の侘び寂びを知って、深みが出て、豊かになるという事でもあります。
父の場合は、生前から異次元に生きてたような感じでしたので、
歳を重ねる度に、深みや豊かと言うより、激しくもユニークになっていった様に感じます。
私の原点の書、藤本蓮風先生の『弁釈鍼道秘訣集』に、
「生命は生命で知り、直感によって書かれたものは直感によって把握する。
我々が何かを理解しようとして物事を分析する時、いつもある立場に立つ。
そして一面的にならないように多次元的に把らえて、それを総合して物事に近づこうとする。
しかしそれは外からの理解である。
本当に物事を知るには、その中に入って内から理解しなければならない。
それが直感である。」とありました。
確かに、師匠は常に人を丸ごと捉えて、その本質を理解しようとされてます。
心して臨床に向かいたいです。