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実千代鍼灸院 Michiyo Acupuncture Clinic

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院長のブログ 実千代院長の最新ブログ

2009年10月30日(金)

Vol.46食は愛につながる

(嘔吐との闘い)
亡き母が、確か仕事が出来なくなる前月だったと記憶する。
珍しく仕事中に、トイレに駆け込む母の姿に、すぐ私は「もしや母はトイレで嘔吐しているのでは?」と悟った。
ただならぬ嫌な予感が、私の身体を駆け巡ったことをはっきりと覚えている。
トイレから出てきた母は何も言わず、何食わぬ顔でまた診察を始めた。
他のスタッフは何も気づいていない様子。
母に「さっき吐いてた?」と小声で聞くと、母は無言で「うん」と、キリッとした顔で頷いた。患者さんには、絶対心配かけてはならない。これは鍼灸師だった母の一貫した信念だった。

嘔吐・・・・母は疲れていても嘔吐する事など滅多に無かった。というより全く無かった。
何か消化器系に異常でも・・・?
それから、半年後に母はすい臓がんで亡くなった。

(大きな後悔)
消化器系の癌は往々にして食事を取ることが困難になる場合が多い。
ましてや、すい臓がんとなると・・・約一ヶ月間、母は食事を取ることが出来なかった。
スープだけでもだめですか?と聞くと、医者は、「いい匂いをかくと胆汁が溢れて嘔吐しますので・・・」と、本当に残酷そのものの答えだった。

ある日、母に「人間1ヶ月何も食べないとどうなるかわかる?」と聞かれた。
私は「大丈夫、大丈夫!」と答えるのが精一杯だった。
「残酷だね・・・」との母の言葉に何も言えなかった。
こんな小さな母との会話が、今でも、私の大きな後悔となってしまった。

(食べることの意味)
今日、テレビで「食の崩壊」との特集があった。
最近では、お腹が空くから仕方なく食べるという若い女性も多いらしく、朝は菓子パン、昼はお菓子。ハンバーガーのみの晩御飯もあるらしい。
お腹が膨れさえすればいいと、ある大学教授は主食はカップめんとお菓子。後はサプリメント一日300錠を頬ばっているとのこと。

ある心療内科の先生は、食事の環境が心に及ぼす影響は大であると言われた。
若い、うつ病患者さん20人全員が、家族で食事を囲んだことがない。または会話がなく、集まれば口げんかばかりという環境だった。
小さい頃、食卓でのコミュニケーションが無かったことが、対人関係を作れない原因だと指摘していた。

(生きていることの証)
また、違う病院では、脳卒中で寝たきり、殆ど身体を動かす事が出来ない男性に、少しずつおかゆを食べる訓練をしていた。
その男性は話すことも出来ないが「食べることは生きている証」と涙ながらに奥様に訴えておられた。
更に、違う麻痺の患者さんにも、食べる訓練を1年すると、なんと言葉と笑顔が出るようになった。
「ああ、おいしいね~」「食べ終わった!やったね!」「バンザイ、バンザイ!」とハッキリ。
何とうれしそうな笑顔だったか。
本当にこちらが驚かされる程の回復振りだった。
毎日、当たり前と思って食べている健康人には想像もつかないだろう。
食事を取るという、この行動がどれ程「生きていることの証」として大きな力になっているか、それは、私の考えなど遥かに超えていた。

(食べる事で愛し愛される人に)
私の尊敬する、料理家、辰巳房子さんは、食に関して非常に重要な発言をされていた。
「食べるということは、実は、常に絶え間ない刷新が行われていると言う事です」と。
それは、必要なものを食べることによって、「自分の生命の手ごたえ」を感じることが出来、それは、自分を信じることに繋がっていく。
自分を信じることが出来れば、あらゆる物事を信じることもできる。自分を信じ、人を信じる中で、真の揺るがない「希望」が生まれる。
その「希望」こそ人を愛したり、愛されたりという、人間にとっての土台になる。という趣旨の話だった。

(白米に真心を込めて)
まさに先述した全身不随の男性の食べることは、「生きていることの証」そのものなのだ。
病で苦しみ、ベットに寝たきりで、いつ治癒するかとも分からない日々の生活の中で、「食を奪われるということは、生きる希望そのものが無くなってしまうという事だったんだ」と私は、この番組を見ながら、母の言葉を思い出さずにはいられなかった。
健康な人には絶対に分からないことだろう。

食べることは呼吸と同等。無くてはならない行動だ。生きている証なのだから。
母が何も口に出来なかったとき、「真っ白なご飯が食べたいわ」と言っていたあの真っ直ぐな言葉を思い出して、今日も仏前にてんこ盛りの白ご飯をお供えした。
私の母との後悔の会話があったから、今度食べれない患者さんにお会いした時は、違った心で接していけると感謝しながら。

2009年10月8日(木)

Vol.45素晴らしいご夫婦

(闘いの始まり)
13歳で神経性胃炎、その後も胃炎を繰り返してきた千夏ちゃんが、我が鍼灸院に来られたのは今年2月18日だった。
始めて会った時から、「先生とは縁を感じる」「出会えて嬉しい」と言ってくれていた。
細身で色白、女優さんのように綺麗な人だった。ただひとつ気になったのは、眉間のしわ。
かなり心配性で怖がりのよう。自分でもちょっとしたことが気になり、ひとつの事をずっと考えてしまうタイプと。
食欲が無く、背中が痛むとの事だった。
検査の結果は、胆嚢ガン末期。医者からは後3ヶ月との宣告を受けた。
ガンとの壮絶な闘いが始まった。

(ご主人の情熱)
しばらくして往診に行かせて頂いた。
ご主人との初めての出会い。山のようなサプリメント、何十万もする漢方薬、ビタミンC療法、温熱療法、勿論抗がん剤等等、あらゆる方法でガン撃退のため、仕事も休まれ取り組んでおられた。
申し訳なかったが不必要なものは除去させていただいた。
彼女は「先生ありがとう、もう飲むものが多すぎて・・・・よかった!」と言っていた。
検査の結果を見るたび、ご主人は当然の事ながら一喜一憂されていたが、彼女の弱っていく姿に「先生の言うとおり、勇気を持って抗がん剤は中止します」と言われた。
ガン撃退に情熱を注がれてきたご主人にとって、これがどれ程の勇気だったか計り知れない。しかし、こちらに生命力があればガンに抵抗出来ることは必然なのだ。
むやみに闘う力を削いでしまってはガンに負けてしまう。我が師匠の教えだ。

(生命力は数値にでない)
今年45歳になったばかりの彼女。しっかりした高校生の娘さんと天真爛漫な小学生の息子さんがおられる。
彼女とご主人の要望で、出来る限り自宅で。病院へは通院しながらの治療とした。
自宅でガン患者さんを最後まで診るという事が、どれほど大変なことか、私も身を持って知っている。それも、様々な諸事情で、ご主人ひとりでの看護だった。
苦しむ姿を子供に見せたくない、其の前に自分が苦しいのは絶対嫌、最後は眠るように逝きたい。
正直なお二人の強い強い願望だった。
しかし、そんなに簡単に死を容認できるはずもない。また、する必要も無い。
どこまでも、生きる力こそが、生命力こそが大事なのだから。
彼女は、一切の医者の言葉を覆し、生きて生きて生き延びた。
そして生命力は数値に出ないことを証明してくれた。

(玄関の袋)
ある日、玄関に、袋に一杯詰まった空のアルコール瓶が置いてあった。
男性でありながら、ご主人の、このような献身的な看護は見たことが無いほど徹底していた。
いつも強気そうに振舞っていたご主人だったが、本当は子供たちよりも、誰よりも怖かったに違いない。
送られてくる数値の紙も、見れない時も有った。(見ない方がいいというか・・・)
規定量を越える安定剤とアルコールしかご主人を眠りにつかせる事は出来なかった。
ガンの嫌らしさは、じわじわと身体を蝕んでいくところだ。
大切な人が、愛する人が、目の前で徐々に弱っていく姿を見ることがどれ程過酷なことか。
胸を引き裂かれるとは本当にこの事だ。
患者さん本人は勿論のことだが、それ以上に周りの人の心痛と体力の消耗は計り知れない。
絶対に経験した人にしか分からない事だ。

(生命力、人智計りがたし)
彼女の生命力は、私もご主人も皆が驚くべきものだった。
何度も下血しても、また復活した。足が浮腫になってもまた細くなった。腹水が溜まったらガン性疼痛が無くなった。
せん妄症状が出てもまた正常に戻り息子に「宿題ちゃんとした?」と聞いていた。今日人生の中で一番美味しいメロン食べたのよと笑顔。眠ったと思ってご主人と話していたらパッと目を開けて「先生、全部聞いてましたよ」とにっこり。
9月30日のことだった。
亡くなる1週間前から殆ど尿も出なかったのに、自分で唇にリップクリームを塗ったり、お茶を飲んだり笑ったり、意思の疎通もしっかり出来た。ご主人を心配して「パパ大丈夫?」との言葉には、さすがのご主人も大泣き。すると、びっくりするほどしっかりした声で、「ありがとう、もう泣かないでね。大丈夫だから」と彼女の声。

(死を容認)
いつ頃だったか、ある日、彼女の顔を覗くと何とも清々しい晴れやかな顔があった。
いつもあった眉間のしわも無くなり、本当に穏やかな顔だった。
私は直感した。彼女は自分の死を受け入れたんだと。
その後、彼女とご主人は、涙を共に流しながら、二人の思い出、出会えたことへの感謝、今生の別れの無念さを語り合ったとのこと。
それでも、私たちは、一秒でも長く彼女が生を全う出来るように全力で看護、治療をさせて頂いた。
彼女は穏やかな顔で「鍼っていいな~」の言葉を残してくれた。病気の彼女から何か貫禄のような逞しさを感じた。

(10月3日お別れの瞬間)
午前の仕事が終わったらすぐ駆けつける予定だったが、今熟睡しているとの連絡を受け、夜に伺うことにした。
夜9時、到着したと同時に彼女が目を覚ました。
「先生、先生、」と二回呼んでくれ、昨日まで熱い熱いと騒いでいたとは思えない程、穏やかな時を持った。
手足が冷えてきたので、息子さんと娘さんに、「お母さんの手足を手で温めてあげて」と言った。
死がすぐ間近に迫っているというのに、部屋には何とも言えない穏やかな空気が漂っていた。

血圧測定不能、脈拍は24、皆で手足を擦ると40くらいまで上がった。
間もなく口呼吸が止り、彼女はす~っと静かに目を閉じた。
午後11時30分を指していた。
家族全員が見守る中、静かに眠るように・・・あまりにも美しい見事な旅立ちだった。
怖がりだった彼女が、癌を乗り越え、癌に打ち勝った姿だった。それは、ご主人、ご家族もがんと闘いきった勝利の姿でもあった。
ご主人は、「妻は先生が来るのを待ってたんですね」と。
そこに涙は無かった。

千夏ちゃん、8ヶ月間の素晴らしい出会いをありがとう。
また、どこかで会える日まで、ゆっくり休んでください。
あまりにも安らかな尊い最期・・・・心から感動しました。
沢山のことを教えてくれて、本当にありがとう。

最後に、世界一の素晴らしいお父さん、お母さんから生まれてきた、ももちゃん、けんちゃん、本当によく頑張ったね。
二人の成長をお母さんはずっと見ているよ。
そのことを忘れないで。

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