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実千代鍼灸院 Michiyo Acupuncture Clinic

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院長のブログ 実千代院長の最新ブログ

2008年2月9日(土)

Vol.7春の気配

「めまい」

立春が過ぎてから「めまい」を訴える患者さんが急増した。
どこの病院に行っても異常なしといわれるのですが・・・と。
検査結果に異常が無くても様々な症状を訴えられる人の何と多いことか。
またその様な訴えに対して「自律神経ですよ」「診療内科に行くように」と訴える医者のなんと多いことか。
確かにめまいにも様々ある。本当に脳に腫瘍などの異常が発見される場合もあるが、我が院に来院される患者さんのめまいは大きく分けて二つあるように思う。
ひとつは、何か雲の上を歩いているようなフワフワした感じ。ほとんど立ちくらみ状態のものだ。
もうひとつは、メニエル氏病様のグルグルまたはグルッと回転するもの。
簡単に言えば、前者の雲の上は血虚(貧血傾向)の時に多く、回転性のものは「肝の高ぶり」に関係が深い。

「肝の高ぶりって?」

東洋医学の肝は五行では「木(もく)」を指す。
木は幹を中心にのびのびと空に向かって枝を広げている。(この事を「条達」という)
つまり肝の蔵は縛られることを嫌い、のびのびしている事を好む蔵といえる。
だから、自分の思うように事が進まなかったり、忙しくて自分の自由な時間が無かったりするとイライラする人がいるが、これは東洋医学的に見て肝が高ぶっている証拠。
縛られるのが大嫌いだからイライラするのだ。
生理前も分かりやすい。生理前になるとイライラする人が多い。そして過食になる。生理前は肝が高ぶるからそれを降ろそうとして過食になる。
その上この季節はまだ寒いと思っていても日差しは春を感じる。
小さなつぼみたちがすぐそこに来ている春を感じて今か今かと膨らんでいる。
そう、上へ上へと一斉に伸びようとしている季節だからややこしい。
人間の気も上へ上へと昇ってしまう。ましてや、春で無くても常に忙しい人、いらちの人はこの季節になればちょっとした事で肝に触る。ピリピリするのだ~。
だいたい肝が高ぶっているひとは顔を見ればすぐ分かる。鼻の中央辺りが白く抜けている。
ひどくなると目の周りが青白くなってくる。目も血走っていたりする。
このような人の近くにはあまり近寄らないほうが、いや、近寄る時は覚悟して。

「肝が高ぶればめまいが起こるの?」

そもそも回転するってなぜ?片方が弱いか片方が強くて重心が傾いて回転する。コマの原理だ。人間では、良く見れば左右のバランスを崩している人にめまいが良く見られる。
例えば、50肩のある人はどちらかの肩が悪い。つまり左右のバランスが悪いということだ。このような人で肝が高ぶっている人はかなりの確立でめまいが起こっている。
また50肩で無くても常にどちらかの肩をいつも凝らせている人も同じだ。
それは特に肩甲骨あたりにあるツボや腹部の肋骨弓辺りの左右差を見れば判明する。
また、舌の先が赤かったり、舌の両側が剥けていたり、舌に赤い点々が多い人も要注意だ。

「どうすればいいの?」

1、普段から肩こりを取っておくことが大事。
風邪は万病の元というが、私は肩こりも万病の元と言いた  い。上に気が昇っている証拠だからだ。
2、運動不足の過食は肩こりの大本。ウオーキングをしてスト  レス食いを避けたい。
3、腎の蔵を弱らせると余計に肝が高ぶる。更年期障害を見れ  ば良く分かる。50前後になれば大概「腎」が弱る。腎が弱  るとはいわゆる老化現象の始まり。下に位置する腎がしっ  かりしていれば肝の暴走を防ぐ。下(腎)が弱る事で余計  に肝が高ぶる。だから更年期ではホットフラッシュといっ  て顔にばかり汗をかいたり、肩が異常に凝ってきたりと肩  から上の症状が出てくる。腎は塩分控えめ、冷たいものを  控えることは基本。
肝はのびのびを好むと言ったように、自分にとってホット  することをしたり出かけたり、誰かにしゃべったりと工夫  してのびのび時間を持ってみては?

2008年2月4日(月)

Vol.6精神の安定その2

「過緊張は病を生じるもと」

精神の安定その1では笑いとスイーツは緊張を緩めることが分かった。では、そんなことでは緊張が緩まないという方。寝ていても手を握り締めていたりと緊張しているのでは?
それは比較的、感受性が非常に強い人、繊細な人に多いように感じる。芸術家タイプにも多いが、芸術に自分の想いを表現出来ればかなり緊張は緩む。ようはそれも出来ず、自分自身の感受性の行き先をどこへも持っていけず、誰にも受け止めてもらえず内に込めてしまえば必ずと言っていいほど身体自体に反応が起こる。過度の緊張の連続が病を生じるのだ。

アトピー、喘息、過呼吸、動悸、不眠、体痛、下痢、便秘、疲労感、イライラ(易怒)などなど人により様々だが、共通しているのは腹部、背部ともに穴(つぼ)が石のように硬くなっていることだ。
その硬いツボに触れながら素晴らしい感性を持つ才能を伸ばしていってほしいと思わずにはいられない。あなたの存在自体が素晴らしいのだから!

「なぜ過緊張になるの?」

過緊張になる人は、決まって発散する方途が生活の中にない。忙しすぎても緊張になるが、それを楽しんでいる時はさほど身体に影響を及ぼさないし少しの運動や睡眠で回復するものだ。
緊張の反対は緩み。東洋医学は過ぎたれば・・・・というようにバランスを大事にするが、ほとんどの現代人は緩み過ぎより、緊張のし過ぎの様に思える。
緩みは・散歩や軽い運動。精神的には・ホットすること(安心感)・うれしい気持ち・感謝の気持ち・感動・そして笑いなどで得られる。
しかしそれら精神的なものは人との関わりの中でしか生まれないから困ったものだ。
人間関係が稀薄なら得ることは難しいし、競争社会の弊害か人を褒めることが非常に少ないのでは?と感じるのは私だけではないと思う。

「自分の緊張度合いは?」

今の生活の中に過緊張のサインを自分で発見してみて~。
1、ため息が多い
2、過食になる
3、やたらと甘いものを欲する
4、非常にイライラする
5、肩がこって仕方ない
6、のどに閉塞感(詰まった感じ)がある
7、頭皮がピリピリする
8、寝つきが悪い
9、便秘
10、顎関節症といわれたことがある
11、歯ぎしりをする

この11項目の内4つ以上ある人は過緊張のサイン。
そこに人と会いたくない。外に出たくない。などが加わると要注意。何でもいいから自分で自分を褒めてあげてほしい。
感受性が強く敏感というのは人の気持ちも分かってあげられるのだから。
ともかくも鍼は緊張を緩める最高の治療。文字通り最高の手当てだと実感する毎日だ。

2008年2月3日(日)

Vol.5精神の安定その1

*「お笑い」と「スイーツ」

今、空前というほどのお笑いブーム。大地から湧き出るようにお笑い芸人が陸続と出てきては日本全国を明るくしてくれている。
私も大好きで寝る前までベットの中で笑わせてもらっている。笑いの前にはみな平等、上下は無い。そして芸人達の開けっぴろげで飾らない芸風、かつ、その真剣さに魅力を感じる。
誰人も憎めないキャラクターだ。
また、スイーツも然り。大ブームだ。味は勿論の事、見た目のかわいらしさと美しさ。時に芸術作品ともいうべき見事なものも多く、食べるのがもったいないくらいだ。
1切れ500円以上はゆうにするケーキも人気となれば完売~。
デパ地下にはスイーツコーナーが所狭しと並んでいる。
皆にとって必要と感じるからこそ流行るんだなと思う。

*「共通点を考える」
このお笑いとスイーツを東洋医学の観点から見れば非常に共通点がある。
両者とも「緊張を緩める」作用がある。笑うことにより腹式呼吸になり身体の緊張をほぐす。
ため息を考えればわかるように、何か精神的に追い込まれていたり憂鬱な時はため息が自然とでる。これは抑うつを解きほぐそうとする生理現象のひとつ。リラックスしようとする自己防衛なのだ。笑いとため息は息を出す。とにかくも出す!出すこと、これは緊張を緩める。
また、甘いものも緊張を緩める。自分を振り返っても分かるように緊張した後、忙しかった後などは無性に甘いものを欲する。それが毎日となれば(その量にもよるが)緊張の連続といってもいいかもしれない。患者さんをみてもチョコレートを非常に好む人は過緊張の人が多いようだ。だから私はこの2つは失業なし。(勿論人心をつかめないと失敗するが)といいたいくらいこれからもますます緊張社会には無くてはならないものになっていくのでは・・・?
笑いは「出す」。しゃべることも自分の想いを「出す」。反対に胃袋に物を「入れる」。これは精神的に満足してないものを詰めこむ。入れて入れて不足(精神的な何か)を補おうとする行為なのだ。
過食症はこの2つを網羅している。食べて食べて満足させてそして指を突っ込んで出す行為だから。自分の精神を安定させようとしている実は自己防衛なのだ~。

2008年1月22日(火)

Vol.4狼男とドラキュラ伯爵

*狼おとこ

鍼灸の仕事に就く前、幼稚園で働いていた私は子供達に沢山の絵本を読み聞かせていた。
狼やお化けなど刺激的な本が大好きな子供達。
真剣な輝く瞳、まるでそこに狼がいるかのように友達同士寄り添って恐がるかわいらしい姿がほほえましい。

昔話しには東洋医学に通じる沢山の智恵が含んでいるようだ。
満月の夜になると体毛が生え、牙が出てきて恐ろしい顏になる狼男。
潮の満ち引き、月の満ち欠けという宇宙のリズムは、生き物の身体にも大きく影響を及ぼす。亀の産卵などは皆の知るところである。
満月では生命力が充実し、人間も息高々になる。交通事故が多いのも満月の日らしい。
アメリカでは満月の夜には喧嘩など犯罪が多いので飲酒できるバーなどではお酒の量を少し減らすという対策に出て、犯罪数を減らしたというデータまで出ている。
老人や重症な患者さんは新月(月が無い日)に亡くなるケースが多い。生命力が低下するのだ。実際、私の所に来られている老人ホーム勤務の患者さんも同感して下さっている。
彼女は今では月齢カレンダーをみながら注意してくれている。

*吸血鬼ドラキュラ

ドラキュラ伯爵は太陽を嫌い人の血を吸う。つまり眩しさに弱いのだ。
中医学では血が不足する事を血虚(けっきょ)という。
血虚になれば、こむら返り、顔面痙攣、立ちくらみ、ふらつき・・・これを肝の血虚と呼ぶ。
動悸、不眠、煩躁(胸の辺りがざわざわする)・・・これは心の血虚(しんのけっきょ)という。
などその程度は様々だが上記以外に、光が眩しい、ドライアイも血虚の大切な症状に入る。
これは私の勝手なこじつけだが、まさにドラキュラは血虚の代表選手かもしれない。
生き血を求めるということは、血が足りないから。そして血の不足は光が眩しいというところに出ている。

また、目は肝に通じるといって、非常に関係が深い。肝は血を蓄えているところだ。肝・血・目は関係性大!
したがって、パソコンなど目を酷使している人は肝の血虚になり易いのだ。ドライアイもしかりである。
また、生理がある女性や、スポーツ選手などは血虚になりやすい。だから、小松菜・のり・ほうれん草・レバー・プルーンなど血になるものを意識してとる必要がある。

話はドラちゃんに戻って、ではニンニクを嫌うというのは・・・・?
ニンニクは皆さんも食べると感じるように非常に陽気が強い食物でアトピー、湿疹、痒み等の熱疾患の人には禁忌だ。
食べると身体が温かく(熱く)なるので悪化するからだ。
あのドラキュラの牙をみれば(見たことは無いが)完全に熱性(猛々しい感じ)だ。
そんな熱性の彼に熱性のニンニクを与えれば、鼻血など出してますます血虚になるから嫌うのかもしれない。全く私の独断の考えだが、東洋医学的にみれば興味が湧いてくる。

2008年1月21日(月)

Vol.3忘れられない人

(病の勢い)
Mちゃんは昨年7月末、来院して来られた。左足に激痛を訴えて。既往歴を見ると3年半前乳がん摘出、2年後両肺へ転移とあった。肺の癌は大きくなっていないとの事で放置し仕事を続けていた。
足の激痛は鍼をして少し軽くなるものの再び激痛に。2回目来院時に病院で検査を受けるよう勧める。Mちゃん曰く「抗がん剤は受けたくない。だから検査もしない」
しかし私の強い勧めで安保先生の免疫療法をしている医者の所へ検査を受けに行く事に。
結果は脳、肝臓、骨、大腿部など全身に転移していた。
彼女は「本当に笑いが出たよ。ここまで酷いと笑うしかない」と本気の笑顔を私に向けていた。Mちゃんの性格の全てがでていた。

(友、友、友)
私の鍼を心から信頼し、年上の私を親しみを込めてちゃん付で呼んでくれた。
往診から帰る時は必ず「今度いつ来るの?」と約束しないと帰してくれなかった。
鍼が終わったあとは「不思議!痛くな~い」と笑顔がはじける。二人して何度笑ったか。
笑いの壺が一緒だね~といいながら。そして本音の話をして本音の意見をぶつけ合ったりした。
鍼を超えた心の交流があった。
Mちゃんは東京では有名なカメラマン。常に友人が、仕事仲間が彼女のベットを取り囲み一切のお世話をしてくれている。
彼女は病院が大嫌い、脳にガンマナイフをあてた時だけ入院した。頚椎と大腿部の放射線は自宅から頑張って通った。
1ヶ月も彼女の傍にいると名看護士になれるのだ。(人にもよる?)
そして毎日全国各地から最高の食材が送られてくる。何度食べ過ぎ注意を出したことか。びわ湿布やアロマ。足も毎日マッサージしてもらっている。彼女の足も手もついに一度も浮腫んだことは無かった。

(自宅で最期の日を)
今年に入り段々食べるものが口に出来なくなってきた。食べると嘔吐。お正月、特性のうどんと24時間かけて炊いた自家製の黒豆を持っていった。
「おいしい!」食べても吐かず。これが最後の食事になったかな?しゃっくりも出始めた。食べれなくなり、しゃっくりがでる。とは東洋医学では一番重要な生命力の源=「胃の気」の弱りを示す。
しかし、Mちゃんの生命力は並大抵ではない。おしゃべりは果てしなく続く。
誰が見ても全身がんとは想像もつかないほどの笑顔だ。
そんな彼女の様態が13日急変。夜駆けつけると意識混濁状態なのに「もう少し早く来ていたら日本一美味しいウニが食べれたのに」と私に言っている。
4日間、時間の有る限り駆けつけた。驚異的な生命力で彼女は生き続けた。
「痛い所も苦しい所も無いよ。」とMちゃん。本当に穏やかな顏だった。
16日夜、「Mちゃんは癌に勝ったね!世界一すごいね!」というと昨日まで動かなかった手が私の手を握って離さなかった。力強く握ってくれた手から、お別れを言ってる彼女の声が聞こえた。お互いに「ありがとう!」って。

余命1年といわれた彼女が、余命1ヶ月と言われた彼女がどれ程その言葉を覆し、長く深く生きたか。驚嘆せずにはいられない。医者も皆も脱帽した。
そして私の生命の奥に無限の生命力の不思議、鍼のすごさをまた植えつけてくれた。

次の日の1月17日眠るように静かに、あまりに美しい顏で旅立った37歳のみごとな最期があった。そしてそれは次の生への出発の日を勝利で飾った顏だった。

Mちゃん本当にありがとう!またいつか必ず会おうね!

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