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実千代鍼灸院 Michiyo Acupuncture Clinic

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院長のブログ 実千代院長の最新ブログ

2015年7月9日(木)

父を偲んで(その7)


花達からいつも元気を貰います。

色んな癌がありますが、父は食道癌を選びました。選ばれたのか。

食道癌とっても厄介です。癌が食道を塞いで食事が出来なくなります。

口から入れて肛門から出す、この当たり前が出来なくなる…

父の癌は、食道の前にある気管にまで浸潤してましたので、もひとつ厄介でした。

食べられない日々が続きました。これがどれ程辛いことか、栄養点滴、これがどれ程味気ないものか、

なので、時々、口に入れて味を楽しんで出してました。それも凄い勢いで美味しそうに。その姿はホント男らしかったです。

美味しく食べれる事がどれ程幸せな事でしょうか。ゴクンが出来る幸せ。

病気で入院されてる方の為に、笑えるほど美味しい真心の食事を提供する。これが当たり前になって欲しいです。

ともかく、父は文句も言わず、栄誉点滴を自分で取り替えてました。

その姿は余りにも健気。。。尊敬の眼で見つめてました。

2015年7月8日(水)

父を偲んで(その6)


刻々と変化する夕日の美。

昨年3月、飲み会で父が「最近、声が出にくくてなぁ、逆流性食道炎の様だ…」と。

確かに、声がかすれてる。お酒の飲み過ぎじゃないの?と皆んな同意見。

そんな父から5月のGWあけに電話があり、「どうやら食道癌みたいだ。お兄ちゃんと治療を検討してくれな。」と淡々と、驚かせてくれます。

直ぐ兄と父の元に。父曰く、ずっと東洋医学で来たからなぁ。と病院は遠慮という感じムンムンです。

父にとっては幸いにも、末期で手術も出来ず、肺の方にも転移。暫く大きな病院で検査入院しましたが、三大療法は受けないとの事で、自宅に戻ってきました。

さぁ、闘いの始まりです。師匠にもご指導頂きながら兄と治療開始です。

何百回「嬉しいなぁ」と「ありがとなぁ」を言ってた事でしょう。

文句ゼロです。だからでしょうか、何故か全て父の思惑通りなっていきます。

皆で必死で父を守る事に精魂を注ぎました。

2015年7月7日(火)

父を偲んで(その5)

父は亡くなる年のお正月に、「な、死んだらどうなると思う?」と珍しく真剣な話に。

勿論、まだ病気の事も誰も知らない時です。

人は、自分の死期を直感する事が出来るんだと後から思い知らされましたが、

父も無意識に分かっていたんでしょう。

一番長生きしそうな父からそんな質問が出て、その時は皆で笑ったものです。

その時、今母が生きてたら80だねと言うと、やたらに感心して、そうか!凄いなぁ。80は立派だなぁ。と何回も何回も。

母はいないのに、まるで生きてるかの様に感心する父を見て、どうしたのかな?と思いつつも、きっと、自分が死ぬ年齢も意識してたのかなと感じます。

誰もが避けられない死という問題。

この一大事を見つめてこそ生は本物になるんだと教えて貰いました。

2015年7月6日(月)

父を偲んで (その4)


父は素朴な花が好きでした。

父は、数カ所の専門学校で古典鍼灸を教えてました。

中でも、闘病に入る直前まで行岡鍼灸専門学校で教鞭をとっていました。

77歳にも関わらず、古典が読める方が少ない様で居らせて頂いた様です。

私は違う専門学校でしたので、父の授業の様子は知りませんが、

父の卒業生とは縁が多く、父らしい笑える話を沢山聞きます。

耳が遠い為、質問は殆ど受け付けず、試験に出る所は全て教え、実技の合間に黒板の前で堂々お昼寝タイム…

晩年はセロテープ療法なるものを実践してました。(鍼をツボに置いてセロテープで貼り、何分間かしたら取るというもの)

こんな自由人でしたが、父の授業で鍼の面白さを知ったいう方によく出会います。

一度授業受けてみたかったですね。

2015年7月5日(日)

父を偲んで (その3)

父は、謡(能の声楽部分)の師範で、3つも教室を持っていたそうです。知らなかった。。。

亡くなる3ヶ月前まで教えていたとの事。食道癌末期にも関わらず。恐るべし。

昔から、カラオケに行くとプロ級の上手さ。

腹式呼吸の訓練をいつもしていて、声を鍛えていたからですね。

私にはお腹が出るからと腹式呼吸を教えてくれませんでした。

娘だからというより、父にはいつも、素問・霊枢に書かれてある様に、柔軟な女性への特別な憧れがあったように思います。

父のお誕生日を居酒屋さんでお祝いした時、唄ってくれた謡は最高でした。

人目も憚らず、完全に自分の世界に入ってました。こんな所が本当に父らしいです。

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