散歩してると美に出会います。
「桜梅桃李(おうばいとうり)」という言葉が好きです。
(出典『古今著聞集』)
桜は桜の美しさ、梅は梅の、桃は桃の、李(すもも)には李の、其々の美しさがある。
桜は桃になろうと思っても絶対なれないように、
誰にも真似できない、其々の個性があるという事です。
意識なく似てくる事はあっても、桜が梅になろうと必死になる必要はないです。
何処までも自分らしく、自分にしかない良さを発揮していけばいいと思います。
ただ、個性と言っても、自分らしくと言っても、信念無き個性はイマイチ魅力的とは言えませんが。。。
一心不乱に何かに挑戦する姿に個性は輝くのかな。
そうやって、個性とか自分らしく…なんて思わなくても、自然と滲み出てくるものが、本当の個性なのかも知れませんね。
雨のお陰で生き生き。
毎日、朝が来るのが早過ぎて驚いてます。
それだけ歳をとったのか、充実してるのか。
よくよく考えてみれば、
患者さんのバックには、実に様々な方が関わり、人生が回転してます。
ひとりの患者さんが、一本の鍼で、楽になり希望を持って笑顔で帰って下されば、
そのバックに居られる全ての方も、必ずいい回転になっていきます。
その事を日々実感してます。
今日も、「先生に大丈夫ですよ!と言って頂きたくて来ました」また、「息子に感謝出来る様になりました」等々。ホント嬉しいです。
本当に安心出来る心身にしていく事が私の仕事です。
患者さんのお陰で、こんなに朝が早く来るんだと、今日もただ感謝の気持ちです。
患者さんからのグラジオラスを私流で。
ある精神疾患の患者さんが、かなり落ち着いた時、こんな事を言われました。
「先生、鍼をしている間、過去の事が湧いてくるように思い出すんです…」と。
「多分、封印されてた様々な思いが浮いてきてるんですよ。浮いてきたら後は抜けていくだけですからね」とお伝えすると、
「私もそう感じました。じゃ、いい事ですね。」と安心された様です。
心身一如ですから充分考えられます。
この何気ない治療過程でのやり取りが、結構大事だったりします。
患者さんの様々な思いをどう受け止めて、どう返していくのか、
口先でなく、真心から出た、本当に思う事を語ってます。
いつもいつも、心持ちが試されます。
西宮は田んぼだらけで涼しい。
見落としてるだけで、体表や脈などにも、その兆しは現れている…
心を研ぎ澄まして、注意深く観察していけば
、その変化に気付き、また直感的にも感じる事が出来るのでしょう。
小さな変化を捉えて、大きな変化を知る。この連続作業…大切です。
その枠を何処に置くかで、様々な次元の事象を感じていく…東洋医学の智慧は素晴らしいです。
師匠の玄関の見事な紫陽花。
師匠の治療見学に行っても、患者さんのご相談をしても、この場合は何分間、鍼を置きなさいとの指示はされた事がありません。
時と場合、季節によっても違いますし、何より人によって違いますので、決める事が出来ないからでしょう。
私の場合を考えても、3分の人、15分の人、30分の人、置鍼しない人…様々です。
では、どうやってその時間を決めてるかと問われたら、
様々理由はありますが、先ずその患者さんの「虚実」を考えてです。
しかし、実の人でも、長く置鍼する場合と、しない場合があります。虚の人でも同様です。
その違いは、実の場合は、その方の過敏度合を考慮します。また、張り詰めてる糸を急に緩めるのも慎重さが必要です。
虚の場合は、正気の弱り具合です。
「寒熱」でも変わってきます。
色んな考えがあると思います。だからこそ、自分の臨床から得た経験が大切ですし、
虚実、寒熱などの陰陽を、問診と体表観察から正確に把握する事が大切です。
虚実寒熱といっても、様々なレベルがありますし、錯雑してます。
後は、基本を応用して加減し、臨機応変に対応していく。これが東洋医学だと思います。