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実千代鍼灸院 Michiyo Acupuncture Clinic

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院長のブログ 実千代院長の最新ブログ

2013年3月16日(土)

29.黄色のバラ

私の母は黄色のバラが大好きでした。花言葉を調べてみると、「嫉妬」「薄れゆく愛」などの余りよろしくない言葉から、「献身」「可憐」「励まし」など素敵な言葉までありました。

花言葉は、国により時代により様々に付けられているようです。
中世ヨーロッパでは、嫉妬の象徴のようですし、東洋の風水では、裕福の象徴だそうです。

日本では、黄色は幸福や希望を意味し好まれています。父の日には黄色のバラをプレゼントするのも母の日のカーネーション程有名ではありませんが知られています。

黄色は東洋医学でも重要視されている色です。五行で言えば、身体の中心となる脾土にあたり、全てを育む大元とされています。

中国の古代伝説中の人物で三皇五帝のひとりとされる黄帝も皇帝ではなく黄の字が付いています。

私も黄色が大好きです。爽やかで、目立つようで控え目で、気持ちが明るくなる色だからです。

母の71歳のお誕生日に黄色のバラを71本プレゼントした時のあの喜び様は今も目に焼き付いてます。

悔しくも、母はその年の11月に亡くなりましたが、今月の母の80歳のお誕生日は、「永遠の感謝」の私花言葉と共にお祝いしてあげたいです。

2013年3月14日(木)

28.救って救われる

この仕事で人を救っていきたい、なんて大それた事かも知れません。実は患者さんからこちらが救われている気がします。

人は人を励ます事によって元気になれます。毎回、毎回励まされてばかりだと、何か自分が弱い人かの様に錯覚していくものです。

患者さんと術者の関係。一般には、身体が弱く、病に苦しんでいる人と、それを何とかしようと助ける人。まさに、助ける人と助けられる人の関係です。

でも、本当に患者さんは弱い人なのでしょうか。寧ろ、ひとりで病と闘っているすごい精神の持ち主かもしれません。
精神の病だとしても、病に立ち向かっていける人として選ばれた人なのかも知れません。

患者さんは凄いなぁと思う事、よく有ります。励ます事より私が励まされているような…
私が同じ病気になったら、きっとこんなに冷静にしてられないでしょうから。

こうして、私の中では、救う人と救われる人がよく行き来してバランスをとってるように感じます。

貴方は励ます事、励まされる事、どちらが多いですか?どちらも程よく有るのがいいですね。

落ち込んだら誰かを励まして、同じ人を励ましてばかりの人は、相手の素晴らしさを見つけてみるってどうでしょう。

いずれにしても、励ますの「励」は、万の力と書きます。励まして励まされる、そんなバランスのとれた関係って素敵ですね。

2013年3月12日(火)

27.シビレてます

シビレエイは、自分がシビレているから、それに触れたものをしびれさすって聞きました。

私が一番幸せと感じるのは、自分がシビレてる時かも知れません。何にシビレてるかって、勿論、この鍼の世界にです。

師匠の書物を読むと心がシビレてきます。ワクワクしてきます。何故でしょうか。
それは、きっと、師匠自身がいつもシビレておられるからでしょう。

長年、古典を日々の臨床に照らし鍼の世界を追求され続けておられる師匠。喜怒哀楽の全ては、鍼灸故の喜びや怒りです。限りなく純粋な世界です。

私もこんな素晴らしい鍼灸を多くの人に広めたい気持ちで一杯です。そのために師匠につき切って学ぶのです。

鍼を愛して止まなかった我が母も、シビレていたのでしょう。今日は母のお誕生日…感慨深い一日です。80歳まで鍼したいわって言っていたその日ですから。
母は亡くなる寸前まで鍼の勉強をしてました。また、「21世紀は鍼を刺さなくても治せるようになりなさい」とも言ってました。

先日、師匠が「鍼はただ介在物なんだ」と言われてました。鍼が好きと矛盾するようですが、鍼灸の世界の究極の事を表現されたと思います。母の言葉と重なりました。

どんな事もシビレてるか否か。この自分のシビレこそが世の中を変えていくと確信します。

本気でシビレてる人に触れると、私の心が、ふつふつと燃えてきます。だからちょっと分かります。本物か嘘か。小我か大我か。

鍼灸の世界は無限の可能性があると断言される師匠、藤本蓮風の鍼に触れてシビレてみるの如何ですか。。。

2013年3月10日(日)

26.肝の高い人大好き

肝の高い人と言うのは、全身の気血を巡らす大元の肝気がとても旺盛な人の事です。

分かりやすく言えば、ヤル気に満ち満ちている人、少しの運動では足りず倍量必要な人、話し出したら止まらない人、声が馬鹿でかい人等々…つまり生命力が普通以上に旺盛で、レベルが極なら殆ど発狂寸前のような状態の人です。

患者さんにも子どもから大人までおられますが、こんな人に出会うと、疾患に関係なくある面ワクワクしてきます。

先日、ある患者さんにこんな質問を受けました。
「先生、私、山登りの時、ある岩の所に行くと、電気が走るんです。これって何故ですか?」と。
「それは、あなたの肝度がいいからですよ。そんなパワースポットあっていいですね。」とお応えしましたが、この方も静かですが、かなり肝が高い人といえます。

その人、「先生も電気きます」と言われました。きっと、私こそが肝が高い典型なのかも知れません。

思い切り運動して、師匠から治療を受けて、何とか落ち着いているのでしょう。

肝が高いのに伸び伸び出来ないと鬱滞(うったい)してきます。この鬱滞こそが、様々な病の大元になります。

肝気が高いのはいいのですが、自分で制御出来る範囲である事や、発散出来ている事が大事です。

発散出来ないと鬱滞し、何らかの塊を形成し易くさせます。制御出来なければ、肝が暴走して様々な疾患が起こります。自己免疫疾患などはその最たるものかもしれません。

鍼は、その鬱滞を解き、暴走をストップさせていく事に抜群に優れているのです。

しかしながら、肝の高い人…大好きです。

2013年3月8日(金)

25.逞しき楽観主義

悲観主義は何かあると悪い方に物事を考えます。
楽観主義は何かあってもいい方向に物事を考えます。

でも、悲観主義だから慎重になり物事にじっくり取り組めるのかも知れません。
楽観主義は、反省すべき部分を見過ごしかねません。
どちらにも一長一短があるような気がします。

私は楽観主義の前に「逞(たくま)しい」を付け加えたいです。
「逞しき楽観主義」どうですか?
イメージ的には、浮ついた気持ちが無く、どっしり構えた楽観主義です。

先日、あるお子さんの病状が思わしくなく再入院となり、お母さんからメールがありました。

その中に、
「実際に子どもが苦しんでいる時に何をしてやれば苦しみがやわらぐのかもわかりませんし、この苦しみは、耐えるべきものなのかの判断もつきません。」と。

この時、私はひとり喫茶店で勉強してましたが、人目もはばからず涙が止まらなくなりました。
お母さんのお子さんを想う率直な心に感応したのでしょう。

私には、それこそ何があっても必ず治るとの確信があります。不思議にそれは一切揺らぐことがありません。

「大丈夫ですよ!何があっても必ずいい方向に向かうと信じて行きましょう!祈ってます。苦しみ共有しますから安心して下さい。彼に宜しく。」と直ぐ返信しました。

病になる事…我々には計る事の出来ない意味があるような気がします。

「逞しき楽観主義」これを貫いてこそ、その本当の意味が分かるものと思います。

闇が深ければ深い程暁は近いのですから。

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